《うつ病体験記克服への道》~悪循環に陥る考え方~
うつ病初期の私の考え方
うつ病と診断を受けた私は、そこからどう立ち直ったらいいか自分なりに考えた。
当時の私が思いついたのはもっと頑張ることだ。
常にやっていたことは、気持ちを高めるために「こんなんでいいのか自分。このままだと将来困るぞ自分。こんなもんじゃないはずだ自分。もっと頑張れるはずだ自分。」こんなことを言い聞かせていた。何もやる気が起きなくて無気力状態になった時には、繰り返し自分自身に言い聞かせた。
また、意味もなく辛い気持ちが一気に押し寄せてくることが多く、始めは親に相談していたがこんなことが続いてくると親に弱い子だと思われてしまうことが怖くなって、感情を自分の中に閉じ込め、グッとこらえるようになった。
ものは考えようだと当時ポジティブに考えることが大事と言われていたので「どれだけ辛くてももっと辛い人がいるんだからこんなこと思うなんて自分がおかしい。なんて悪い子なんだ。わたしは贅沢なんだ」と苦しい気持ちになったら考え方を変えるよう努めた。
自分の本来の感情は間違っていると言い聞かせ、感情をコントロールし本来感じた感情からこう考えるべきということに塗り替えるという作業を繰り返すようになった。それがしっかりできるようになったらうつは治るものだと思っていたからだ。
大きな勘違いだと今は分かるが、当時は本気だった。あの苦しく真っ暗な状況で一生懸命考えて考え抜いて、出来ることから始めようとして思い付いたことだ。
感情ってなんだろう?感情とは自然にわきあがるものなのだ。こんな簡単なことのはずがうつ病真っ只中の私には分からなかった。
こうと決めたらやり続ける柔軟性のない私は、感情を塗り替えることを治ることだと本気で思い込み、普通に戻りたいという一心で努力し続けた。
人生って怖いものだ。
良い時はさらに良い事が続く。悪いときは悪いことが続く。人は状況が良いと心に余裕もあり冷静に物事を考えられる。悪いときは当時の私のようおかしなことを真剣に考えてしまいそれに疑いも持たない。
これがうつ病の人特有の悪循環に陥りやすい考え方のひとつだと思う。
心ってなんだろう?気持ちってなんだろう?感情ってなんだろう?
目に見えないから分かりづらい。傷付いても他人からその心は見えない。自分にしか分からない。時に、自分でも傷付いた気持ちに目をふさいで感じないほうが楽だと感じることもある。
心を大切に扱ったことってそれまで無かった。意識している人は少ないと思う。怪我をしたり病気にならないと体のケアをしないのと同じように。
アザになるとかかさぶたになるとかみたいに目に見えたり、血液検査をしたら感情が判明したりとか、もっと分かりやすい指標が心にもあったらいいのにと思う。そういうものが無いからこそ心は自分自身でしかケアできないのかもしれない。