【将来は大丈夫】不登校だった頃の自分に教えてあげたい11個のこと。
不登校になると、気持ちは落ち着かず不安ばかりが襲ってくる。
未来に希望なんか持てなくて、周りから自分だけ置いてきぼりになっていることが悲しくて、現実に目を背けたくなる。
いくら目を逸らそうとしても、朝騒がしく登校する学生の音やSNSに挙げられる楽しそうな友人の姿を見て、さらに落ち込み自己嫌悪に陥る。
始業式、体育祭、文化祭、いろいろな行事の日は特に落ち込んだ。みんなが盛り上がっているのに、私はそのなかにいない。涙が出た。
家にいても、親が困っていることが空気から伝わってきて申し訳ない気持ちで一杯だった。肩身が狭かった。
学校も苦しいけど、家も苦しい。
こんな状態では、絶望感や喪失感が頭を占領して、将来に対して一筋の明かりも見えなかった。
生きていける気がしなかった。
しかし今、あの苦しい時期を乗り越えて生きていくことができている。
考え方も180度変わり、今楽しく生きることができている。将来に多少の不安は付き物だが、それ以上に希望がある。
今だから言えることだが、当時不登校だった私に教えてあげたい10個のことをまとめてみた。
拝啓~不登校のわたしへ~
学校だけが全てじゃないよ。
学生でいる以上、学校が全てな気がしてしまう。学校に行くことが当たり前で、学校に行っていないと奇異な目で見られてしまう。
社会に出て思うことは、学校に行かなくても豊かな発想を持ち、自分の人生を切り開いている人がとても多くいるということ。
むしろ学校とか学歴とかそういうものって関係ないということがはっきり分かる。
しかし高校生の時は、学校に行かなかったら全ての未来が閉ざされたと感じ、目の前が真っ暗だった。
現実は違う。学校に行けないことを卑下することは全くないよと声を大にして言いたい。
世界は計り知れないくらい大きいんだよ。
想像以上に世界は広いことに早く気付くことができたらよかったと思う。
学生という身は、未成年で教育を受ける立場上、いろいろな制限の中生きている。
だから、狭い世界の中で生きざるを得ない。
しかし、社会に出てみると本当に想像以上に広い。
理解できないほど広すぎて、今まで自分を縛って苦しめていた考えや価値観に対して笑い飛ばしたくなるほどだ。
世界の大きさに気付いたとき、自分の存在がちっぽけで不安も悩みも葛藤も全てがちっぽけに感じるようになった。
狭い世界で生きることはやめて、もっともっと視野を広げてほしい。
生きていく方法は無限大にあるんだよ。
私の場合は、勉強とか学歴が全てという環境で育った。
だから、偏差値の高い大学に行き有名な企業に就職しないと生きていくことができないと思っていた。
しかし、生きていく方法は無限にある。すぐには思いつかないかもしれないが、人には何か得意分野がある。
うつ病で引きこもっていたとしてもその経験が何かの仕事に繋がることだってあり得る。
今まで全力を注いで頑張ってきたことが突然シャットアウトされて生きる気力を無くしている人に特に言いたい。
可能性は無限大であることを知ってほしいと思う。
人の価値観はみんな違うんだよ。
不登校の時は、周りの目がとても気になると思う。
しかし、みな価値観は違う。誰一人同じ価値観の人は存在しないのだ。
自分の価値観の中で、落ち込んだり舞い上がったり一喜一憂しながら生きているが、他人も同じようにその人本人の価値観を持って生きているということ。
不登校だからって周りの目に怯えて生きることはないということをしっかり頭に入れて置いてほしい。
年代によっても価値観は変わっていくものなんだよ。
価値観は生きていくと1日1日自分でも驚くくらい大きく変わる。
10代の時の考えと20代の時の考えはもちろん変わるし、重きを置くものも変わってくる。
10代の時に健康を意識してる人は少ないけど、50代、60代と年を取るにつれて健康を意識している人が多くなっていく。
このように「今これが絶対だ」「これが出来ないとダメだ」と思っているものがあったとしても時間が経ちいろいろな経験を重ねると変わっていくものなのだ。
「今はこう思っているんだな」と遠目で見るような感覚で自分自身を客観視してほしいと思う。
親の考えと同じじゃなくてもいいんだよ。
未成年にとって親の考え方は、成長に大きく影響する。自分の考えの構築に1番関わってきたのも親だと言っても過言ではない。
いくら育ててもらっている親であっても、一人の人間である。全てが正しいわけではない。
考え方というものに正解は無いのだから、自分なりの考えを確立していっていいのだ。
親の考えは、参考程度に捉え自分の好きなように考えていいということを知ってほしい。
自分の人生は、自分のものなんだよ。
思春期は、周りの目が特に気になる時期だと思う。
学校という場所は、成績で順位をつけたり偏差値をつけられてしまうから、周りを無視することはとても難しい。
時に向上心に繋がることもあるが、他人軸で生きることはただただ疲れてエネルギーを奪われるだけだ。
誰かを気にして誰かと比べて生きていても、その人が何かしてくれるわけでは無い。
自分の人生の舵をきれるのは、自分だけであるということを知ってほしい。
将来のためにやる努力には終わりがないんだよ。
将来のために、未来のためにと努力を惜しまない人は多いと思う。
しかし、いつかのためにと思って頑張る人はそれを永遠にやり続けてしまう。
幸せになるために努力をしているはずなのに、結果的にその幸せの感じ方を知らずに人生が終わるまで未来のためにと頑張り続けてしまう。
それなら、もう今から幸せになればいいということだ。幸せに条件はいらない。
私自身、そんなことしたら幸せになれないというパラドックスのような感覚に陥ったが、意識して練習すると少しずつ変わってくる。
不登校の状態でも、楽しんでもいいということを知ってほしい。
今、すでに楽しんで良いんだよ。
不登校になると、今を楽しむことなんて苦しくて罪悪感で一杯で出来るわけないと思う方も多いと思う。
しかし、この状態を必要な期間であることを早く受け入れて、心を休めることができたら良い方向にむかっていく。
楽しむまでには時間がかかるかもしれないけど、自分を許すことから始めてほしい。
私は罪悪感を取り外すことにとても苦労した。
しかし、自分を責めていて元気になるなら続けるべきだが、苦しくなるだけだと気付いたらその時から楽しんでしまえばいい。
心の中は自由で誰にも邪魔されないんだよ。
心の中は、何を思ってもいい。自由だ。何を思っても誰にも迷惑をかけない。
当たり前のことと思うかもしれませんが、不登校になると周りからのプレッシャーを感じ、気持ちに蓋をしてしまう。
そうなると、本来の感情を感じることができず、心の中まで支配されてしまったようで胸が締め付けられる感覚になってしまう。
もっと自由に考えて、思うようにやっても問題ないんだよってことを知ってほしい。
人生は何度でもやり直せるんだよ。
人生はいくらでもやり直せる。何歳になってもどんな時でも。
不登校になり、自分の未来像が全く描けなくなり、膝から砕け落ちる勢いで喪失感にさいなまれているかもしれません。
しかし、生きてさえいれば可能性に満ち溢れているのです。
今は未来になんの希望も持てないと思います。
しかし、いろいろな人と出会い、新たな経験を重ねているうちに、自然と自分の生きる道が定まっていきます。
必ず人生はなんとかなるから、将来のことばかり心配して悩んで心痛めるのはもう辞めてほしい。
おわりに
今はとても深刻で辛いと思います。でも、何年後かには不登校だったことなんて本当にどうでもよくなります。
私自身も当時は、もう完全に人生終わったと思っていました。周りからも冷ややかな目で見られていると思い込み、ずっと怯えて生きていました。
しかし、あんなに悩んだのは一体何だったんだろう、あんなに自分を追い詰める必要なかったんじゃないか、って今は思います。
当事者は、楽観的に考えるなんて出来っこないと思いますが、元不登校として当時の私に教えてあげたいことを書き出してみました。
人生はまだまだ続きます。休む時間も絶対に必要です。 焦りは禁物。まずは、自分のことを好きになって大切にしてあげてください。
必ず道は開けると信じて。