《うつ病体験記克服への道》〜高校生の時の私の将来の夢〜
当時の私の将来の夢
うつ病になる前から将来の夢がすごい人になることだった。なんでもいいからみんなにすごいと言われる人になりたい、そう思っていた。
うつ病と診断された高校1年当時も、将来成功することが何より大切なことだった。そのために偏差値の高い大学に進学することが目標だった。
それを達成することが毎日の生活の中で第一優先事項だったのだ。
それだけを目標に日々勉強を頑張っていたのだ。
今思うと、成功するって何?と突っ込みどころ満載ですが本気で将来大物になりたいと思っていた。特にやりたいことがなかったわたしは、どの分野でもいいからすごい人になりたかった。
当時は、これは自分が自分で持った将来の夢なのだと思っていた。
だが病気になって何年経っても、成功することに執着し続ける自分に違和感を感じ、果たしてこれは本当に私の夢なのかと思うようになった。
大物になって成功することを目標に考えていると、いつまでたっても終わりが来ない。
ある程度の到達点に来たと思ったら上には上がある。そしてその上を目指す。また次の地点に行ってもまたその上には上がある。そしてまたさらにその上を目指す。
目標が成功だと、いつになっても達成することがないのだ。
だいたい目標が成功することの人は、成功したら楽しい最高の毎日が待っていると思い込んでいる。まさに私だ。
負のスパイラルである。
要は成功が目標の人は一向に楽しい時がやって来ないのに。それに気付かず、そんな自分を信じて将来の幸せのために頑張っているつもりだった。
知らないって怖い。だって本気で信じてるんだから。
やりたいことがないのに、ただただ成功したいって一体何を望んでいたんだろう。
当時の私は人に認めてもらうことこそが人生の幸せと思っていたのだ。
みんなにすごいと言われたい。みんなに羨ましがられたい。みんなに誉められたい。
当時はあまり認識が無かったが今思うとどこかそういう意識を持っていた。
「認知のゆがみ」当時うつ病は認知のゆがみだとよく言われていた。
私のような偏った考え方や考え方のクセのことを指していたのだろう。
でも病気の渦の中にいて、考え方を変えなさいと言われると頑張っている自分を完全否定されたと感じ落ち込む一方だ。
そんな考え方のゆがみに気付けず、周りからの賞賛を求め続けていた私は、当時偏差値の高い大学に進学することがまずは大きな目標だった。そうすれば大物になるという夢への一歩となると信じていたからだ。
当時の私の人生の成功のイメージはそういうものだったのだ。