《うつ病体験記克服への道》〜罪悪感を生み出す達人~
~感情の間違った認識~
良い人になりたくて、みんなに好かれたくて
そのためにあらゆる方法で罪悪感を生み出すということをやり始めた私。
こういうのって日々やり続けると、上達してくるのだ。
継続は力なりっていうが、いつの間にやら私は罪悪感を生み出す達人になっていた。
罪悪感を生み出すということは、本心とは違うことを思うことなので、初めはとても難しかった。
ここまで出来るようになってしまったのは、言うまでもなく日々の練習の成果だった。
例えば、道端で怒ってキレて暴言をはいている人に遭遇したとしよう。
まあ普通の健康な人は、その人を見て自分のせいだとは思わないだろう。
私も元々はそんなふうに思わなかったのだ。
でもそこは訓練だ。そう思った瞬間に心の中で、変換するのだ。
いや、もしかしたら私のせいであの人怒っているかもしれない。
ありえないのだが、私のせいになりそうな理由を一生懸命探すのだ。
限りなく0に近い可能性だが、
さっきもしかしたらあのオジサンとどこかですれ違った時に私の顔つきが睨んでいるように見られたのかもしれないとか、
気づかない間に私がなにかしたかもしれないとか、
ありえないってどこか分かっているのに、
そう考えることで自分が悪いんだという罪悪感の意識を生み出せるのだ。
書き出しているだけでおかしなことしてたなと思うのだが、当時はこう考えることで自分が優しい人になれて、ポジティブな感情で心を一杯にして、良い人になれたつもりだったのだ。
たぶん当時も本心は、そんなキレているオジサンを見て、
「なにあの人。勝手に道端でキレてるなんておかしな人だな、こわっ!変な人!」
と人を悪く思う自分がいて、そういうこと思うことは人としてダメだと思っていたのだ。
なんでも綺麗にポジティブに道徳的な感情になれることが素晴らしいことだと思い込んでいたので、自分のせいだと思うことでそういう負の感情を消していった。
こんなことを繰り返し、自分のなかの認めたくない感情をあらゆる方法で罪悪感という形に変換することで、良い人になったつもりになっていたのだ。
誰しも言われたことはあると思うが、人の悪口を言ってはいけないって小さい頃から言われていたので、人を悪く思うこともダメなことだと思っていた。
負の感情を持ってもいいことを知らなかった。
負の感情だって自分の立派な感情なのに、そんなことを思う自分が最低な人間だと思っていたから、罪悪感を生み出し自分の中で懺悔していたのだ。
今振り返ると、一体なにをやっていたのだか首をかしげたくなるが、当時の私はこの考え方が人としてあるべきものと思い込んで一生懸命やっていたのだ。